県衛生検査所時代から外国の臨床検査の動向に関心を持ち、文献やカタログをよく読んで、最新情報を仕入れていた宮慶二は、日本でも「自動分析装置」を駆使して検査する時代に移行するだろうとの確信があった。そこで早くも昭和37年、検査員が顕微鏡下で一つ一つ数えていた赤血球や白血球数を、ネオン管で自動的に表示する「赤血球計算機」を島津製作所と共同開発し、さっそく社内に導入。これが、日本の検査に自動分析機を導入した最初の事例となる。
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